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2007年9月

ラジオ

今年の夏からラジオを聴き始めました。ず~っとTVばっかでしたが、今年体調を崩して寝込んでいたらふとラジオを聴いてみようかなぁと思ったんです。

ラジオっていいものだなぁと感じました。TVは遠くて触れられない感じがするのですが、ラジオは番組側とリスナーとの距離が小さくて、温かみというと陳腐かもしれませんが、そんなものを感じる気がします。

声だけの世界、というのもすてきなものですね。自由に想像できるし♪

ラジオは聴かない、という方もぜひ、BGMとしてでいいので一度流してみてください。

そうそう、もしこのブログを見てくださっている方で、お勧めのラジオ番組があったら教えてほしいです(__) まだ聴き始めたばかりで、どんな番組があるかもよくわからないんですよね^^;

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まっがーれ↓スペクタクル

涼宮ハルヒの憂鬱、小泉一樹キャラソン「まっがーれ↓スペクタクル」の歌詞にこんな部分がありMaggareます。

  誰も秘密と知りながら

  毎日過ごすのは

  それぞれの思惑と

  ちょっぴりの好奇心

もちろん涼宮ハルヒの世界観を基に書かれたものではありますが、案外真に迫っている気もします。

みんな他者のことはホントのところ知り得なくて、それでも毎日共に過ごしていくのは、それぞれに思惑があるから、微妙な駆け引きをしながら何かを知りたい、相手のことを知りたいというちょっぴりの好奇心があるから、かな?かな?

あと、

  ここに出会えるぼくたちさえ 

  刹那の夢ならば

  うしろめたくない位

  楽しみを感じても

  わるいことには

  ならないでしゅう

という部分も好きですね。

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とある木の一生

わたしはとある種。お姉ちゃん、弟、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんたちが残してくれた葉っぱたち、ミミズさん、ダンゴムシさん、ワラジムシさん、ゲジゲジさん(わたしが言うのも変だけど、おもしろい名前でしょ。この前笑ったら怒られちゃった。『俺の名前は「ゲジゲジ」だけど、俺はゲジゲジじゃない。それに俺は「虫」じゃないし、「脚がいっぱいあって気持ち悪いもの」でもない。俺は「俺」ですらない。俺はいかなる俺以外のものとも違う。それが俺だ。お前もそのうちわかる。』だってさ。なんだかよくわからないな)、蟻さん、いも虫さんとかがふかふかにしてくれた葉っぱの毛布に包まれ、キリギリスさんや鈴虫さんやセミさんたちの演奏に耳を澄ましたり、ちょっとマズイ水を飲んだりしながら、過ごしてきた。

 そろそろ殻がきつくなってきた。

 でもここから出たらもうみんなの話を聞けなくなっちゃうらしい。もっとみんなの話を聞いていたいなぁ。

 わたしの「外」は冷たかった。

 隣の同い年の子よりも、弟よりも、おじいちゃんよりも、もっと栄養を。

 根を張り、枝を繁らせた。誰よりも大きくなった。

 だって、誰よりも一生懸命に生きたから。

わたしの子どもたちが旅立っていった。あの子もどこかで、わたしのように元気に育ってくれるかしら。自慢の子どもたち。

 最近どうも息苦しい。空気も、土の中の養分も、うまく吸えない。どうも昔よりもさらにまずくなった。これじゃ光合成もうまくいかない。もう歳なのかしら。

 最近わたしの周りを人間たちがよく見に来る。

 傲慢なあの、神の創った欠陥生物。どうも老いたわたしを保護しようとか計画しているらしい。大切な自然木だとか言っている。わたしはお前らの言うような「自然木」などではないわ。わたしはこうして生きている一つの生命。

 わたしの周りに柵がつくられた。だがもう遅いわ。自分のことは自分が一番分かっている。わたしはもうすぐ根元が腐って倒れて、カブトムシの幼虫やキノコのお宿となるの。

 わたしの生涯も短いものだったわ。人間に比べたら随分長いだろうけど、いくら生きたって、しょせんわたしたちは大きな河の流れにむすびては消える泡のようなもの。

 まぁ楽しかった。わしの人生はきっとみんながうらやむものだったわ。この土地で一番の長寿にして一番の巨木。

 ところで、わたしの子どもたちはいったいどうしているのかしら。あの子は立派な幹に大きな葉を繁らしているだろうか。あの子はちゃんと子どもを授かっただろうか。あの子はきれいな花を咲かしているだろうか。

 あの子たちには、話を聞いてくれる相手がいるのだろうか。

 願わくは、あの子たちに、普通の幸せを。

 わたしは死んだ。いも虫さんや、ダンゴムシさんや、ゲジゲジさんや、蟻さんや、ミミズさんたちはわたしにやさしく語りかけてくれた。

 「ぼくらと一緒に話さないかい?」

 いつかわたしはバラバラに朽ち果て、溶け、みんなの一部になった。

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ゆとり

9月1日の読売新聞の朝刊の社説に「脱ゆとり」という言葉があった。

円周率は3.14だったし台形の面積も習ったが、ぼくは「ゆとり第2世代」です。椅子に座って議論しているような人ではなく、本当の意味での当事者としては、この言葉を見たとき少し不愉快な気持ちになりました。ゆとり教育を受けた人を失敗作とでも言いたそうな響きをしている気がします(ぼくがひねくれているんでしょうか?)。

ぼくらは、実験体ではありません。ぼくらは、被害者ではありません。

わたしたちは、何なんでしょう。

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相手の為に怒ることは、すばらしいことだと思う。

でも、自分の為に怒ることは、自分を苦しめると思う。

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