科学

かわいい科学

 はじめての記事、緊張しています。浅薄な知識しかありませんが、ぼくなりに書きます。

 現在進路に悩んでいます。でも、高校の頃は、一応物理を専門に学ぼう、と考えていました。

 科学について、生命科学や物理についての本を読むと、どうしてもぶつかってしまう問題があります。科学(サイエンス)に責任があるのか、技術(テクノロジー)に責任があるのか、科学・技術は制限さるべきか、できるのか、という問題です。

 この夏休みについに前々から行きたかった広島へ旅行に行くことが決まり、改めて勉強をし始め、先日「原爆災害―ヒロシマ、ナガサキ」(岩波書店;岩波現代文庫)を読み終えました。そこに描かれている世界は、戦後第二世代のぼくには正直想像できるものではありませんでした。わかった気になるしかできない気がしました。心に残った言葉をひとつだけここに引用します。熱線によりケロイドになった被爆者の言葉です。

  「(ほかの被爆者と)いろいろ話合った揚句は同じように、戦争の残酷さ、生きたことの悲しさ、無念さを語り、涙を浮かべられるのであった。」「痛ましくも哀れで、その光景は今も焼きついたように私の眼底から離れない。恐らくその人たちは命ある限り暗い人生を送るのだ。」(括弧内筆者)

 なんて人生だろう。生きたことを悲しいと述べるその心を、たぶんぼくは理解できていない。命ある限り暗い人生を送る…。

 戦争を原子爆弾を正当化することは感情的にも論理的にもできちゃいけないんだと思う。真珠湾を攻撃した日本は悪い。原子爆弾を落としたアメリカも悪い。戦争が早く終わったとかは別問題。一緒にするとわけわからなくなる。お互いに謝ろうよ。反省しようよ。わかった気になればいいじゃないか。だって、もうわかっちゃいけないんだから。わかった気になって、みんなでやめようよ。共同幻想でいいよ。思い込むことも時に大切だよ。

 でも、世の中を見ると、そんなこと考えて満足してしまいそうな自分の無力さに気づく。

 少し話が戦争に傾いてしまいました。実際は科学・技術は日常の隅々に介入しています。環境問題、脳死、臓器移植、クローン、インターネット、拳銃、車、薬、食品 etc。

 有名な話がある。E=mc^2というアインシュタインが見つけた式が原子爆弾の根本の理論式であり、またアインシュタインが米に開発を進めるよう述べる文書に署名をしたというものである(後に悔いたという。核廃絶を求める運動にも積極的に参加した)。アインシュタインは日本に原爆をもたらした罪が、個人的な良心の痛みなどとしてではなく、社会的に有ったのだろうか。童話作家のミヒャエルエンデはアインシュタインの二面性(一方で科学は自由だと述べ、一方で原子力の研究を反対する)について指摘し、科学は人間存在をもともと考えたものにならなければいけない、とNHKスペシャル「アインシュタイン・ロマン」で述べている。朝永振一郎は科学には技術へ応用することを止められない何かが現実にあるということを述べている。岩波講座「地球環境学1」では、科学はその本質が拡大追及的であり、止まろうとするものは競争に負けるし、みんなで一斉に、という状況は極めて不安定であり、拡大を止めることは難しいという現実をまず認める必要性を述べている。

 ぼくはこれらの話になんらまともな回答を持たずにこの文章を書き始めました。だから、こんな尻切れトンボみたいになってしまいました。でも、やっぱり考えることには意味があると思います。みなさんも、考えてみてください。もちろん、いわゆる文系の方もですよ♪

 ただ、最近思ったことがあります。ぼくは美しいものではなく、かわいいものをもとめていきたい。きっと戦争に美しさを見る人がいる。殺人に、窃盗に、詐欺に。原子爆弾に、クローン技術に。でも、きっとそれらにかわいさを見出す人はいないと思います。だから、ぼくはかわいい科学、微笑ましい科学の可能性を追求してみたい。あまりにも漠然としてて、抽象的で、中身の定まらない表現で、具体的に何をしたいのか自分でもわかっていません。だから、まずは、いろんなことを勉強していかなければです。ふと、そんなことを思いました。

 支離滅裂ですいませんでした。う~ん、まだまだ未熟ですね。読んでくれた方、ありがとうございました。

 もし私たち現代人が巨人の王国ブロブディンナグ国(参照:ガリバー旅行記)へ行って話を聞かせたら、国王はどんな反応を示すでしょうか?

 

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